プロデューサーSIDE>>

 2月14日は、言わずとしれたバレンタインデーである。
 765プロダクションも、バレンタインデーに便乗する形でファン感謝イベントを企画し、つい半時ほど前に成功裏に終了した。
 一仕事を終えて事務所に戻ったアイドルたちが各々の担当プロデューサーにチョコレートを渡す光景は、ある意味ではバレンタインデーの風物詩とも呼べるものなのかもしれない。

 ――などと、まるで他人事のように言っているが、感謝すべきことに、俺も担当アイドルたちからチョコレートをもらったので、れっきとした当事者であることを断っておかなければいけないだろう。
 で、真っ先に手作りチョコレートをくれた春香はというと、今は事務所の男性スタッフたちに義理チョコを配っている。当然のように、それらも全て手作りである。受け取ったスタッフには、アイドルからチョコレートをもらえたという事実に感激するあまり、人目を憚らずに落涙している者もいたが、その気持ちは何となくわかる気がする。
 春香とコンビを組んで活動している雪歩からは、トリュフチョコの詰め合わせをもらった。有名チョコレート専門店の高級品だが、どちらかというと舌の貧しい俺にちゃんと味の違いがわかるのか、それが少し不安だったりもする。
 先月の頭にソロデビューしたばかりのやよいは、十枚綴りになった肩もみ券をくれた。やよいらしいと言えば、確かにやよいらしいのだが、実際に使うのは何だか勿体ないような、申し訳ないような、そんな複雑な気分だ。麦チョコとか、チ○ルチョコとかでも良かったのに……。
 そして、俺が担当している、もう一人のアイドル――如月千早はというと、この騒がしい事務所の中にはいなかった。これもまたストイックな千早らしい。
 とはいえ、放置しておくわけにもいかない。
 だが、こんなときの千早の行き先には心当たりがあった。それを確かめるため、俺は事務所をそっと抜け出して、ビルの屋上へ向かった。
 薄暗い非常階段を上り、冷ややかな鉄扉のドアノブに手を掛ける。手応えは無い。
 案の定、鍵が掛かっていなかった。
 扉を開けて外へ出ると、思った通りの場所に千早はいて、暮れなずむ空を眺めていた。
「やっぱり、ここにいたのか」
 そう声を掛けると、千早は一瞬だけこちらを振り返り、そして再び視線を空へ戻した。
 こちらに背を向ける千早に歩み寄ると、俺は上着を脱いで、その細い肩に掛けてやった。
 二月中旬の風は、まだまだ冷たい。体を冷やしすぎないで欲しかった。
「こんなところに長居してると、風邪ひくぞ」
 そう言うと、千早は不機嫌そうにそっぽを向いた。
「……プロデューサーって、意外とモテるんですね」
「はい?」
「今日のイベントが終わった後、会場の女性スタッフからチョコレートをもらっていたじゃないですか。あと、取材に来ていた記者の人たちからも」
「あ、あれは義理チョコだよ……」
「そうですか? 会場のスタッフさんたちはそうかもしれませんけど。あの芸能雑誌の記者は、明らかにプロデューサーに色目を使ってました」
「色目って……」
 千早の口からそんな言葉を聞くと思っていなかった俺はすっかり面食らってしまい、まともに返事をすることができなかった。
「色んな人から愛の籠もったプレゼントをもらって、さぞかしプロデューサーは良い気分なのでしょうね」
 突っ慳貪な口調で話し終えるまで、千早は一度も俺と目を合わせようとしなかった。
 その一方で、彼女の目尻に光るものが浮かんでいたことを、俺は見逃さなかった。
 だから、俺は千早を背後から抱き留めて言った。
「そんなことはないよ」
「嘘……。春香や、萩原さんや、高槻さんからプレゼントをもらって、あんなにニコニコしていたじゃないですか」
「そりゃまぁ、嬉しかったのは確かだけどさ。でも、千早がそんなに悲しそうな顔をしていたら、俺も寂しいよ。ファンの前ではないし、無理に笑えとは言わない。泣きたいときには泣いていい。だけど、やっぱり一番大事な人には笑顔でいてほしいからな」
「……ずるいです」
「え?」
「そんな風に言われたら、私……」
 そう言ったきり、千早は口を噤み、しばらく何も言おうとはしなかった。
 俺も無言で千早を背後から抱き留めたまま、ただ突っ立っていた。
 ややあって、俺の腕の中で千早が身じろぎしたと思った途端、胸元に硬い感触が伝わった。
「え……?」
 視線を落とすと、千早が俺に向かって綺麗にラッピングされた小さな箱を差し出していた。
「これは?」
「……その、今日はバレンタインデーですから。いつもお世話になっているプロデューサーに、プレゼントをと思って」
 俺はプレゼントを受け取って、千早にお礼を言った。
「ありがとう、千早」
 チョコレートにしては、少し箱が軽いような気がした。
「開けてみてもいいかな?」
「えぇ、もちろん。喜んでいただけるとよいのですが……」
 包装を解いて箱を開けると、その中にはシルバーのネクタイピンが入っていた。
「これは……」
「プロデューサーは、いつもネクタイをしていますけど、ネクタイピンを付けているのを見たことがなかったので。その、やはり、身だしなみはきちんとしていた方がいいと思いますし……」
「ありがとう。さっそく使わせてもらうよ」
 と言ってはみたものの、ネクタイピンなんて使ったことがなかったので、曖昧な記憶を頼りにクリップの要領でネクタイを留めてみる。多分、これでいいと思うんだが。
「どうかな?」
「似合ってますよ、プロデューサー」
 そう言って、千早がはにかんだような笑みを見せる。
 その表情が嬉しくて、俺は思わず千早を抱きしめていた。
「ぷ、プロデューサー?!」
「ごめんな、千早」
「え……?」
「最近、あまり千早に構ってやれなくて、悪いと思ってる」
「仕方ないですよ。プロデューサーは、私だけのプロデューサーではないのですから」
「でも、だからといって、千早を放っておいてよい理由にはならないよ」
「ありがとうございます。プロデューサーに気に掛けていただいているのだと確かめられただけで、私は満足です」
「無理はしなくていいんだぞ?」
「……ごめんなさい。少しだけ嘘をついていました。本当は寂しくてたまりません。いつも傍にいてほしいです。もっとレッスンに付き合ってほしいです。だけど、それが無理だということもわかっています」
「千早……」
「こんなことを言えば、プロデューサーを困らせるだけなのに……。すみません」
「いや、いいんだ」
 千早が素直に心中を吐露してくれたことが、俺は嬉しかった。
「思っていることがあれば、溜め込まないで、どんどん言ってくれ。リクエストの全てを叶えることは難しいけど、でも、そのひとつひとつにできるだけ応えていきたいからさ」
「プロデューサー……」
「さしあたって、飯でも食いに行くか?」
「ご飯ですか……?」
 と言いつつ腕時計を覗き込んだ千早は、得心したように頷いた。
「もう、そんな時間なんですね」
「どこかゆっくりできるところに行こう。今後のプロデュース方針についてもじっくり話をしたいと思っていたしな」
「はいっ!」
 と、元気よく応える千早と共に、俺は寒風の吹く屋上を後にした。

 その後、コートを取りに戻った千早が春香に見つかって、夕食は思っていたよりも随分と賑やかなものになってしまった。
 ごめんな、千早。
 日を改めて、ゆっくり話をする機会を設けるようにするからな。
 それまで少しだけ待っていてくれよ。


如月千早SIDE


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初出:【私の居場所】如月千早24【見つけました】


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