如月千早SIDE>>

 2月14日は、バレンタインデー。
 これまでバレンタインデーには興味がなかった。自分には関係のないイベントだと思っていた。
 けれど、今年は違う。
 バレンタインデーにプレゼントを贈りたい。そう思う人がいるから……。

「お疲れ様。みんな、よく頑張ったな。ファンの人たちも喜んでくれたと思うぞ」
 プロデューサーの労いの言葉が、素直に嬉しい。
 バレンタインデー記念のファン感謝イベントを終えて、私たちは事務所に戻ってきていた。
 皆、既に私服に着替えていて、事務所にはリラックスしたムードが漂っていた。
 その雰囲気を一変させたのは、春香の一言だった。
「プロデューサーさん、これ、どうぞ!」
 真っ赤な包装紙でラッピングされた箱。それが何だかわからない者は、765プロにはいなかった。
「チョコレート、手作りしてみたんです。よかったら、食べてくださいね」
「ありがとう、春香」
 まんざらでもない表情で、春香からのプレゼントを受け取るプロデューサー。
 それが引き金になって、他のアイドルたちも各々の担当プロデューサーに用意していたプレゼントを渡し始め、事務所内はたちまち騒然とした空気に包まれた。
 私も、プレゼントは用意していた。
 渡すタイミングも考えてはいた。
 けれど、萩原さんと高槻さんからのプレゼントを嬉しそうに受け取るプロデューサーを見るのが辛くて、私は逃げ出すように事務所を飛び出して、ビルの屋上に向かった。
 屋上は寒かった。
 まだ二月の中旬なのだから、当たり前だ。
 コートを持ってくればよかったと思ったが、今更取りに戻るのも間抜けすぎる気がして、私はそのまま手摺りに歩み寄った。
 胸の中にモヤモヤした気持ちを抱えたまま空を見上げると、鳥が飛んでいくのが見えた。
 ハトか、カラスか。あるいは、渡り鳥かもしれない。
 いっそのこと、私も鳥になってこのままどこかへ飛んでいってしまいたい。
 そんな感傷的な気分になったところで、不意に声を掛けられた。
「やっぱり、ここにいたのか」
 プロデューサーの声だった。
 ちらりと背後を振り返ると、プロデューサーが所在なさげに立っていた。
 心配して様子を見に来たのだろうか。
 もしそうだとしたら嬉しいけれど、何となくそういう素振りを見せるのは癪な気がして、私は顔を背けた。
 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ジャケットを私に掛けながら、プロデューサーが話しかけてくる。
「こんなところに長居してると、風邪ひくぞ」
 いつもなら素直にありがたいと思える気遣いの言葉。
 だけど、今日は違った。
「……プロデューサーって、意外とモテるんですね」
 気付いたときには、プロデューサーから視線を逸らしたまま、憎まれ口を叩いていた。
「はい?」
 聞き返すプロデューサーに、私は勢いに任せて畳み掛ける。
「今日のイベントが終わった後、会場の女性スタッフからチョコレートをもらっていたじゃないですか。あと、取材に来ていた記者の人たちからも」
「あ、あれは義理チョコだよ……」
「そうですか? 会場のスタッフさんたちはそうかもしれませんけど。あの芸能雑誌の記者は、明らかにプロデューサーに色目を使ってました」
 私は、今日になるまでバレンタインデーがどういう日なのか、全く理解していなかった。
 プロデューサーのことを憎からず思っているのは、何も私だけではない。プロデューサーさんと接点のある女性が、それぞれの好意を形にする。そうすることが公然と許される日なのだという現実を目の前で見せつけられて、私は心が波立つのを感じていた。
「色目って……」
 鼻白むプロデューサーを前に、私は言葉を止められなかった。
 本当は、こんなことを言いたいのではないのに……。
「色んな人から愛の籠もったプレゼントをもらって、さぞかしプロデューサーは良い気分なのでしょうね」
 そう言い捨ててから、自己嫌悪に陥る。
 本当は、こんな憎まれ口を叩きたいわけではない。
 私のことを見て欲しい。もっと構って欲しい。
 そう望んでいるだけなのに……。
 自分の気持ちを素直に表現できない自分に苛立ち、強く目を閉じる。
 不意に、プロデューサーの腕が私を包み込むのがわかった。
「そんなことはないよ」
 と、プロデューサーは言った。語調は、あくまでも優しかった。
「嘘……。春香や、萩原さんや、高槻さんからプレゼントをもらって、あんなにニコニコしていたじゃないですか」
「そりゃまぁ、嬉しかったのは確かだけどさ。でも、千早がそんなに悲しそうな顔をしていたら、俺も寂しいよ。ファンの前ではないし、無理に笑えとは言わない。泣きたいときには泣いていい。だけど、やっぱり一番大事な人には笑顔でいてほしいからな」
 プロデューサーの一言に、私は虚を突かれた。
「……ずるいです」
「え?」
「そんな風に言われたら、私……」
 そこから先は言葉にできなかった。
 込み上げる感情を抑えるために、口を閉ざし、目を瞑る。
 プロデューサーに背後から抱き留められたままだから、彼の息遣いが、温もりが、すぐ近くで感じられる。そのことが何よりも私を安らかな気持ちにさせた。
 あんなに失礼なことを言ったのに、それでも私のことを見捨てないでいてくれる。
 そう思うと、ただただ嬉しかった。
 プレゼントを渡すなら今しかないと思った。
 ポケットからプレゼントを取り出し、振り向きざまにプロデューサーへ向かって差し出す。
「え……?」
 戸惑ったような声がプロデューサーの口から漏れた。
「これは?」
「……その、今日はバレンタインデーですから。いつもお世話になっているプロデューサーに、プレゼントをと思って」
 私がそう言うと、プロデューサーは小さく微笑んだ。
「ありがとう、千早。……開けてみてもいいかな?」
「えぇ、もちろん。喜んでいただけるとよいのですが……」
 プロデューサーが包装を解いて箱を開ける様子を、私はじっと見守った。
 彼のために選んだネクタイピンだが、果たして喜んでもらえるだろうか。
「これは……」
「プロデューサーは、いつもネクタイをしていますけど、ネクタイピンを付けているのを見たことがなかったので。その、やはり、身だしなみはきちんとしていた方がいいと思いますし……」
「ありがとう。さっそく使わせてもらうよ」
 と言ってから、プロデューサーが不慣れな手つきでネクタイピンでネクタイを留めた。
 思った通り、よく似合っている。
「どうかな?」
「似合ってますよ、プロデューサー」
 そう言ったら、突然プロデューサーに抱きしめられた。
「ぷ、プロデューサー?!」
「ごめんな、千早」
「え……?」
「最近、あまり千早に構ってやれなくて、悪いと思ってる」
「仕方ないですよ。プロデューサーは、私だけのプロデューサーではないのですから」
「でも、だからといって、千早を放っておいてよい理由にはならないよ」
「ありがとうございます。プロデューサーに気に掛けていただいているのだと確かめられただけで、私は満足です」
 つい優等生めいた答えを返してしまう私に、プロデューサーがそっと囁いた。
「無理はしなくていいんだぞ?」
 少し迷ったけれど、本心を言ってみることにした。
「ごめんなさい。少しだけ嘘をついていました。本当は寂しくてたまりません。いつも傍にいてほしいです。もっとレッスンに付き合ってほしいです。だけど、それが無理だということもわかっています」
「千早……」
「こんなことを言えば、プロデューサーを困らせるだけなのに……。すみません」
「いや、いいんだ。思っていることがあれば、溜め込まないで、どんどん言ってくれ。リクエストの全てを叶えることは難しいけど、でも、そのひとつひとつにできるだけ応えていきたいからさ」
「プロデューサー……」
「さしあたって、飯でも食いに行くか?」
「ご飯ですか……?」
 まだ早いのではないかと思ったが、腕時計で時間を確かめてみると、そうでもなかった。
「もう、そんな時間なんですね」
「どこかゆっくりできるところに行こう。今後のプロデュース方針についてもじっくり話をしたいと思っていたしな」
「はいっ!」
 私は元気よく返事をして、プロデューサーと共に屋上を後にした。

 その後、コートを取りに戻ったときに春香に見つかってしまい、結局その日の夕食は賑やかなものになった。
 なかなか思い通りにはいかない。
 けれど、帰り際に「日を改めて二人きりで食事に行こう」と言ってくれたプロデューサーの言葉を、今は信じたいと思う。
 信じていいですよね、プロデューサー?


プロデューサーSIDE


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初出:【私の居場所】如月千早24【見つけました】


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