紅白歌合戦が無事に終わり、もう一年も残り僅か。
 プロデューサーさんの運転する車の助手席で、私はセンターコンソールのデジタル時計をじっと見つめていた。
 今、時計は23時59分を示している。
 その表示が、音もなく00時00分へと変わった。
「あけましておめでとうございます、プロデューサーさん!」
 唐突な年始の挨拶に、プロデューサーさんはハンドルを握ったままキョトンとしていたけれど、しばらくしてから得心したように頷いた。
「そういうことか……。あけましておめでとう。今年もよろしくな、春香」
「はいっ。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
「あぁ、今年も良い年にしような」
「そうですね」
「ところで、春香は初詣はいつもどうしてるんだ?」
「近所の神社にお参りしてます。結構大きな神社なので、毎年大勢の人が初詣に来るんですよ」
「へぇ。それじゃ、今からその神社に初詣に行こうか?」
「え、いいんですか?」
 と私が訊ねると、プロデューサーさんは「もちろん」と頷いた。
「それに、春香の家の近所なら、向かう先は一緒だろ?」
「そうか……。それもそうですね」
「じゃあ、ナビをしっかり頼むぞ。俺は、その神社の場所、わかんないから」
「任せてくださいっ」
 そう答えて、私は胸を張ってみせた。

 それから約一時間半後。
 途中で道を間違えるハプニングはあったものの、無事に車を神社近くの駐車場に停めて、私とプロデューサーさんは神社へ通じる参道を歩いていた。
 参道は夜参りに来た参拝客でごった返していた。参道沿いのお土産屋さんはどこも深夜営業をしていて、店内から漏れる明かりのおかげで思ったほど暗くはなかったけれど、こんなに人が多いとまっすぐ歩くのも難しい。
 私が人波の中でふらついているのを、プロデューサーさんも見かねたのだろう。
「春香、ほら」
 そう言って、手を差し伸べてくれた。
「ありがとうございます」
 お礼を言って、私はおずおずとプロデューサーさんの手を握った。
 すると、プロデューサーさんの方から私の手を引いてくれて、自然と体が寄り添うような格好になった。
「こうしていれば、はぐれたりしないだろ?」
 その言葉に思わず顔を上げると、プロデューサーさんと目が合った。
 優しげな笑顔に、胸がドキドキする。
「行こうか、春香」
「はい……」
 どうしよう。顔、赤くなってないかな……。
 なんてことを心配しているうちに、お祈りする順番が回ってきた。
「そろそろお賽銭の用意しておけよ」
「はい。……って、お財布、車の中に置いてきちゃいました」
「仕方ないな。ほら、手を出して」
 私が手を出すと、プロデューサーさんが掌に五百円玉を載せてくれた。
「こんなに?」
「あまりケチケチしても仕方ないだろ。……次だぞ、春香」
「は、はい……」
 私はお賽銭箱に五百円玉を放り込んでから、鈴の付いた紐に手を掛けた。
「思いっ切り鳴らした方がいいらしいぞ」
 と、プロデューサーさんが耳打ちする。
「どうしてですか?」
「聞いた話なんだけどな。神様を呼ぶためには、なるべくでかい音の方がいいんだそうだ」
「へぇ、そうなんですか。それじゃ――」
 私は握っていた紐を勢いよく振った。
 ガランガランと大きな鈴の音が鳴り、私は二度柏手を打ってから、両手を合わせてお願い事をしようと目を閉じた。
 何をお願いしようか。
 やっぱり、アイドルとしてもっと活躍できますように、かな。
 歌と踊りがもっと上手になりますように、というのも捨てがたいかも。
 それとも、プロデューサーさんと今より深い関係になれますように、とか。
 わ、私ったら何てことを! キャ〜!
 でも、せっかくプロデューサーさんが五百円くれたんだし……。
 いっそのこと、三つともお願いして、神様にどれを叶えるか決めてもらおうかな。
 うん、そうしよう。
 私はしっかりと念を込めてお願いをしてから、プロデューサーさんと並んで拝殿から離れた。

 真夜中だというのに、拝殿へ向かう参拝客の行列は途切れることなく続いている。
 境内で振る舞われていた甘酒で体を温めながら、私が行列をぼんやりと眺めていると、おみくじを木の枝に結び終えたプロデューサーさんが戻ってきた。
「ところで、春香は何をお願いしたんだ?」
「えっ?」
「今をときめくトップアイドルは、どんな願い事をしたのかなと思って」
「え、え〜と……秘密です!」
 とてもじゃないけれど、プロデューサーさんには教えられない。
「秘密か……。それじゃ、仕方ないな」
「でも、もし願い事が叶ったら、そのときはプロデューサーさんに教えてあげますよ」
「本当か?」
「はい。ところで、プロデューサーさんは何をお願いしたんですか?」
「春香の願い事を叶えてやってください――って、お願いしたよ」
「え……?」
「だって、ここは春香の地元の神社だからな。俺のことより、春香のことをお願いするのがスジかなと思って。それに、春香が笑っていてくれれば、俺は満足だから」
 その一言で、胸がいっぱいになる。
 込み上げてくる感情を悟られたくなくて、私はプロデューサーさんの胸に顔を埋めた。
「お、おい……。春香?」
 心配そうなプロデューサーさんの声が聞こえる。
 プロデューサーさんってば、本当に鈍い。
 あんなことを好きな人から言われたら、女の子は平静でいられるわけがないのに。
「……しばらく、このままでいてもいいですか」
 そう訊いてみる。
 気持ちが落ち着くまで、顔を上げたくなかった。
「構わないよ」
 と答えてから、プロデューサーさんはそっと私を抱き寄せてくれた。
 なかなか進展しない関係だけど、少しでも長く同じ時間を過ごせたらいいな。そうすれば、いつかは私の思いがプロデューサーさんに届く日が来るかもしれない。
 そんなことを思いながら、私はプロデューサーさんの腕の中でそっと目を閉じた。


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初出:【食べて下さい】天海春香 19個目【手作りの…エヘ】


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