「お疲れ様でした〜」
「おう。春香ちゃん、お疲れさん」
 ようやく長かった番組収録が終わった。
 楽屋で衣装を着替え、スタッフさんたちへの挨拶を済ませてから、私は一人でテレビ局の駐車場へ下りるエレベーターに乗る。
 プロデューサーさんは一足先に駐車場で待っていることになっている。
 エレベーターのドアが閉まる直前、不意にカバンの中の携帯電話が鳴った。
 携帯を開くと、千早ちゃんからのメールだった。

 ========================
 Date:200*/12/24 20:55
 From:如月千早
 Sub :例の件
 ------------------------
 春香に頼まれていた冷蔵庫
 のものですが、無事に確保
 できています。
 しっかりがんばってね。
 
 千早
 ========================

 やっぱり千早ちゃんに頼んで、正解だった。
 ホッと胸を撫で下ろしたところで、エレベーターのドアが開いた。
 急いで駐車場に向かうと、プロデューサーさんは車にもたれかかって雑誌をめくっていた。
「すみません。お待たせしちゃいましたか?」
「いやいや、ちっとも待ってないよ。それじゃ、行こうか」
「はい」
 助手席に乗り込んで、シートベルトを締める。
 運転席のプロデューサーさんがエンジンを掛け、ゆっくりと車が走り出す。
「ところで、これからどうする? このまま、春香の家まで送っていこうか?」
 プロデューサーさんの提案は魅力的だったけど、私はゆっくりと首を振った。
「いえ。その、ちょっと事務所に置きっぱなしの荷物を取りに戻りたいんで、事務所に寄ってもらいたいんですけど。いいですか?」
「オーケー。わかった」
 プロデューサーさんは、私の言葉に疑いを持つことなく、事務所に向かう道へとハンドルを切った。そして、三十分ほどで車は事務所に到着した。
 プロデューサーさんに鍵を開けてもらい、私は事務所に入る。
 実を言うと、置きっぱなしで取りに戻らないといけない荷物なんてない。目的は別にあった。
 私は休憩室へ直行すると、冷蔵庫を開けて白い箱を取り出した。箱の中身に問題がないことを確かめて、プロデューサーさんが待っている応接スペースへと取って返す。
「お待たせしました、プロデューサーさん♪」
 私が手にした箱を見て、プロデューサーさんは首を傾げた。
「春香、何だそれ?」
「プロデューサーさん、今日は何の日ですか?」
「そりゃ、クリスマス・イブ……って、もしかして、それ、ケーキか?」
「はい。私の手作りクリスマスケーキです。その、プロデューサーさんと一緒に食べたいなと思って……。ダメ、ですか?」
「ダメなことはないけど、ちょっと驚いてはいるかな」
「えへへへっ。それじゃ、さっそく食べましょう」
「そうだな」
 箱の蓋を開けて、ケーキを取り出す。
 どんなケーキにするかは悩んだけど、オーソドックスな生クリームとイチゴのケーキにした。二人分だから、普通のホールケーキよりも小さいサイズにしたのがポイントだ。
「おお。きれいに飾りつけてあるなぁ」
「えっと、切り分けないといけないですよね。包丁って給湯室に置いてましたっけ?」
 私が探しに行こうとすると、プロデューサーさんも一緒に立ち上がった
「それなら、ついでにお湯を沸かそう。飲み物も欲しいだろ?」
「そうですね」
 私とプロデューサーさんは給湯室でコーヒーを淹れてから、お皿とフォークと包丁を持って応接スペースへ戻った。
 ケーキを切り分け、お皿に乗せる。
「えーっと、そうだな。ムードもへちまもないけど、メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
 挨拶もそこそこに、二人してケーキをパクつく。
「お。甘さ控えめでいい感じだな」
「男の人って甘いの苦手な人が多いから、ちょっとお砂糖は控えめにしてみたんです」
「うん、いい配慮だねぇ。春香は素敵なお嫁さんになれるな」
 そんなプロデューサーさんの言葉に、私は危うく飲みかけのコーヒーを吹きそうになる。何とか吹き出さずにすんだものの、変なところにコーヒーが入ってしまったらしく、盛大に噎せてしまった。
「……大丈夫か、春香?」
「だ、だだだ大丈夫ですよ」
 そうは言ったものの、あまり説得力はなかったかも。
 プロデューサーさんも、ちょっと心配そうな顔してるし。
「しかし、こんなことなら、もう少し考えておけばよかったな」
「何がですか?」
「いやね、クリスマスの飾り付けだよ。今年は、みんなスケジュールが詰まっていて、クリスマスパーティーなんてやってる場合じゃないからって、ツリーすら出さなかったからなぁ。せっかく春香がケーキを焼いてくれたのに、何か勿体ないっていうかさ」
「でも、私はプロデューサーさんと一緒に過ごせて、それだけで満足です……」
「いいのか、俺なんかで」
「プロデューサーさんだから、いいんですよ」
 できることなら、すぐにでもプロデューサーさんの胸に飛び込みたいと思う。だけど、目の前に横たわるガラステーブルに隔てられた距離が、もどかしいほどに遠く感じられる。
「そんなもんかね……?」
「そんなもんなんですっ」
 プロデューサーさんはいつも優しいけど、肝心なところで鈍感だと思う。
「なぁ、春香」
「何ですか、プロデューサーさん?」
「ケーキ食べ終わったら、どうするつもりだ?」
「どうするって、特に考えてませんでしたけど……」
「それじゃ、家まで送って行くよ。そのついでに、ちょっとドライブでもしないか?」
「……はい」
 と答えながらも、私は自分の胸の高鳴りに戸惑っていた。

 後片付けを済ませてから、私たちは事務所を出た。
 車中、私たちは無言だった。
 プロデューサーさんは、車を運転しながら、何か考え事をしているようだった。
 私も黙って助手席の窓から外を眺めていた。
 イルミネーションやライトアップで華やかに彩られた建物や街路樹は幻想的で、なんだか現実の光景ではないような気がした。
 やがて車は街を抜け、交通量が目に見えて減っていく。
 そんな人気のない道をしばらく走ってから、プロデューサーさんは車を路肩に停めた。
 私は緊張して、プロデューサーさんの言葉を待った。
「春香……」
「はい」
「メリークリスマス」
 そう言いながら、プロデューサーさんの両手が私の首の後ろに回る。
「え?」
 首の後ろでカチリという音がしたと思ったら、胸元に何かがあたる感覚。
 見下ろすと、シルバーのペンダントが首からぶら下がっていた。
「プロデューサーさん?」
「クリスマスプレゼントだよ。ずっと黙っておいて、春香をビックリさせようと思ってたんだけど、先にやられちゃったな」
 そう言って、プロデューサーさんは照れ臭そうに笑った。
「ぷ、プロデューサーさん……」
 私は込み上げる感情を抑えきれず、子供みたいに泣き出してしまった。
「こら、何も泣くことないだろ」
「だって、だってぇ……」
 そこから先は言葉にならなかった。記憶もはっきりしていない。
 だけど、私が泣きやむまでプロデューサーさんが優しく抱きしめてくれた、その温もりだけは今もしっかりと覚えている。

 そのあと、私を家まで送り届けてから、プロデューサーさんは事務所へ戻って行った。
 結局、今日伝えたかった言葉は、口にすることができなかった。
 けれど、胸元に光るペンダントを見るたびに、思わず頬が緩んでしまう。
 まだ胸に秘めたままの私の気持ち、いつの日かプロデューサーさんに届くといいな。


--
初出:【食べて下さい】天海春香 19個目【手作りの…エヘ】


BACK