「……そっか、今日はクリスマスだったんだな」
 何気なくつけたテレビから流れるBGMで季節感を再確認するというのは、少し侘びしいものがある。
 俺が担当しているアイドルには、まだクリスマスの生放送特番に出られるレベルの子はいない。録画放送のクリスマス関連番組の収録はとっくに終わっているから、何となくクリスマスそのものまでもが終わってしまったような気分になっていた。そんな自分を反省する。
 しかし、そうやって早々に年内の仕事が片付いたおかげで、こうしてオフを貰えたわけだし、とやかく文句を言うような筋合いじゃないな。うん。
 そう自分を納得させてコタツに足を突っ込み、駅前のスーパーで買ってきたフライドチキンにかぶりつく。
 これにケーキでもあれば、もう少しクリスマスらしさも出るんだろうが、一人ではホールケーキなんか買っても持てあますだけだ。
 というか、スーパーでフライドチキンが山盛り売ってるのを見てもクリスマス・イブ当日だと気付かなかった俺が、ケーキを買うという発想に辿り着けるはずもないのだが。
「こんなことでは、いかんよな……」
 自嘲気味に呟いて二個目のチキンに手を伸ばしたとき、玄関でチャイムが鳴った。

 ピンポーン

「こんな時間に誰だろう?」
 宅配便が届く心当たりはないし、来客の予定もない。
 かといって無視するわけにもいかず、俺はティッシュペーパーで手を拭ってから、重い腰を上げた。
「は〜い」
 どこの誰だかわからない相手に返事をしながら、玄関に向かう。
 ドアを開けて、俺は驚いた。
「こんばんは、プロデューサーさん」
 そこに立っていたのは、担当アイドルの春香だった。
「春香!? どうしたんだ?」
「えへへ、来ちゃいました」
「来ちゃいました、って……」
 よくよく見れば、春香の髪や肩にうっすらと雪が積もっている。
 冷え込みがキツいなとは思っていたけど、雪になっていたのか……。
 いや、そんなことに感心している場合じゃない。
「まぁ、いいや。とにかく上がれよ。寒いだろ?」
 雪を払ってやりながら、半ば引っ張り込むようにして春香を部屋に入れ、ドアを閉める。
 寒風が止んで、俺はホッと息をついた。
「お邪魔します」
 そう言いつつ、春香は靴を脱ぐ。
「散らかってるけど、勘弁してくれ。まさか、誰か訪ねてくるなんて思ってもみなかったから、片付けが全然終わってなくてさ。取り敢えず、適当に座ってくれればいいよ」
 と言ってはみたものの、一人暮らしの男の部屋が余程珍しいのか、春香は部屋の中をキョロキョロと見回していて、俺の話を聞いている気配はない。
 せめて、お茶でも出そうと思い、俺はヤカンに水を入れてコンロにかけた。
「それにしても、よくここの住所がわかったな」
「小鳥さんに教えてもらったんです」
「……なるほど。ところで、何かあったのか? わざわざ俺の家に来るなんて」
 そう訊いた俺に、春香は小悪魔めいた微笑を浮かべてみせた。
「プロデューサーさん、今日は何の日だか覚えてますか?」
「クリスマス・イブだろ」
 そう答えてから、さっきまで忘れてたけどな、と心の中で付け足す。
「ピンポーン♪ というわけで、クリスマスケーキ、持ってきちゃいました!」
 誇らしげな表情で、春香は手に提げた紙袋を掲げてみせた。
「まさか、その、手作りとか?」
「もちろんですよ」
 やけにウキウキした様子で春香は袋の中から箱を取り出すと、ダイニングテーブルの上に置いた。
 箱は意外と大きくて、ホールケーキが入っていてもおかしくはないサイズだった。
「ちゃんとした化粧箱に入ってるなんて、本格的だな」
「そりゃあ、もう、プロデューサーさんのために腕によりを掛けて作りましたからね。せっかくだから、入れ物にもこだわってみたくて」
「ほほう。楽しみだな」
「それじゃ、行きますよ。はい、オープン♪」
 芝居がかった口調で、春香が箱を開ける。
 と、そこから出てきたのは、ブッシュ・ド・ノエル。
 苺と生クリームのオーソドックスなクリスマスケーキをイメージしていた俺は意表を突かれて、思わず歓声を上げてしまった。
「おおっ!」
「えへへっ。どうですか、プロデューサーさん?」
「ブッシュ・ド・ノエルとは思わなかった。こりゃ、なかなか期待できそうじゃないか」
「そのつもりですよ。それじゃ、さっそく食べましょうか」
「そうだな。……と、お湯も沸いたし、コーヒーでも淹れるか。それとも春香は紅茶の方がいいか? ティーバッグのヤツしかないけど」
「そうですねぇ。じゃあ、紅茶でお願いします」
「OK。ミルクあり、砂糖無し――で、よかったんだっけ?」
「いつもはお砂糖も入れますけど……。ケーキが甘いから、それでいいです」
「よっしゃ」
 俺は食器棚から二人分のカップを取り出して、ヤカンのお湯を注ぎ入れた。カップが温まったところでお湯を捨てて、再度お湯を注ぐ。そして、ゆっくりとティーバッグをカップの中に沈める。ここで焦ってティーバッグを揺すったりしないで、じっくりと待つのがコツだ。小皿で蓋をして蒸らしてもいいが、今回はその手間を省く。
 春香はどうかな?と、背後を振り返ると、危なげない手つきでケーキをサクサクと切り分けている。横から手を出す必要はなさそうだ。
 ティーバッグを入れてから一分余りが経過。
「そろそろだな」
 カップからティーバッグを引き上げて、流しの三角コーナーに放り込む。
 春香のカップにミルクを足してから、コタツへ運ぶ。
 その後に続いて、鼻歌交じりに春香がケーキを持ってくる。
「お待ち遠様〜♪」
 俺はフライドチキンのパックを押しのけて、ケーキの居場所を確保する。
 期せずして、チキンとケーキと紅茶が揃ったコタツを挟んで、俺と春香は腰を下ろした。
「何だか、一気にクリスマスムードが高まってきた感じだな」
「そうですね」
「それじゃ、いただき――」
 フォークを握り締めた俺を制して、春香が小さく人差し指を振る。
「そうじゃないでしょう、プロデューサーさん?」
「あ、そうか。俺としたことが、慌てすぎだな……」
「もう。しっかりしてくださいよぅ」
「スマンスマン。それでは、改めて……。メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
 乾杯代わりにティーカップを軽く持ち上げる。
 取り敢えずカップを置いて、春香が切り分けてくれたブッシュ・ド・ノエルを口に運ぶ。表面のチョコレートクリームが程よい甘さで、中のロールケーキもふんわりと心地よい食感だ。
「また腕を上げたんじゃないか、春香」
 そう声を掛けると、春香はケーキを頬張ったまま小首を傾げた。
「ほへ……?」
「美味しいよ、これ」
 と伝える声に、思わず苦笑が混じる。
 見れば、少しでもまともな返事をするべく、春香が必死でケーキを嚥下しようとしている。そんな春香も、何だか愛らしい。
「……よかったぁ。プロデューサーさんに喜んで貰えて、嬉しいです」
「いやいや、嬉しいのは俺の方だよ。春香の手作りクリスマスケーキを食べられるなんてさ。ファンにバレたら、きっとタダじゃ済まないな」
 冗談半分、本気半分でそう言うと、春香は照れ笑いを浮かべながら顔の前で手を振った。
「やだなぁ、プロデューサーさん。それは大袈裟ですよぉ」
「大袈裟なことあるもんか。デビューしてまだ半年足らずだけど、春香のファンは着実に増えてるしな。反面、気を付けないといけないことも増えてくるけど」
「でも、色んな人に応援してもらえるのは、やっぱり嬉しいですよね。――あ」
 つけっぱなしになっていたテレビから流れ出した聞き覚えのあるメロディに、春香が手を止める。
 テレビを見やると、765プロの先輩アイドルである三浦あずささんがステージに立っていた。少し長めのイントロが終わり、歌が始まるところだった。
 春香よりも半年ほど早くデビューしたあずささんは、今や押しも押されぬトップアイドルだ。老舗音楽番組のクリスマススペシャルプログラムに生出演するのも、至極当然のことと言えた。
 あずささんが歌う姿をじっと見つめていた春香が、不意に呟いた。
「私も、あずささんみたいなアイドルになれるかなぁ……」
「……どうかな?」
「むぅ。どういう意味ですか、それ」
 不機嫌そうな声に振り向くと、春香が頬を膨らませていた。
「あぁ、違う違う。そうじゃないんだ。あずささんみたいになりたい、っていう春香の気持ちはわかるんだけどさ」
「わかるんだけど、何なんですか?」
「うん。でも、あずささんにはあずささんの良さがあって、春香には春香の良さがあるわけで。何て言うのかな。俺は、春香に、誰かのコピーみたいなアイドルにはなって欲しくないんだ。……新米プロデューサーのくせに生意気なこと言ってるのは、自覚してる。けど、春香は他の何物にも代え難い輝きを放つアイドルになれるって、俺は信じているんだ」
「プロデューサーさん……」
「そうだな、例えば、何もないところで転んだりとかさ」
「ひっどぉい! 良い話だと思ったのにぃ」
「はは、冗談だって。……マジな話、トップアイドル目指そうな。それで、来年のクリスマスには、生放送の特番に呼ばれるくらいになっていようじゃないか」
「……そうですね。はい、そうなりたいです」
「よし。そのために、俺も精一杯頑張るからさ。これからもよろしくな」
「はいっ! こちらこそ、よろしくお願いします」
 俺と春香はどちらからともなく腕を伸ばし、そして固く握手をした。
 何の飾り付けもない殺風景な部屋で過ごすクリスマス・イブ。全く持ってロマンの欠片もない聖夜だが、きっと俺たち二人には忘れられない思い出になる。そんな気がした。


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初出:【明るく前向き】天海春香 18転倒【遠距離通勤】


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