「千早ちゃんが幼児化した〜〜っ?!」
「ちょっ! 小鳥さん、声が大きいですよ」
と、俺が窘めたときには既に手遅れで、事務所に居合わせた者すべての知るところとなってしまったのだった。
そう。俺が担当するアイドル・如月千早の身に降りかかった異常事態について。
「うわっ、可愛い!」
歓声を上げる春香に頭を撫でられて、緊張気味な表情を浮かべる少女。
彼女が、あのトップアイドルの如月千早であると言っても、にわかには信じてもらえないかもしれない。俺も無理して信じてもらおうとは思わない。
なぜなら、今の千早は小学校へ行くか行かないか程度の幼児にしか見えないのだから。
しかし、昨夜の時点――少なくとも就寝前までは何も起きていなかった。
どうして確信を持って断言できるかというと、昨夜の俺は千早と一緒に過ごしていたからだ。といっても、別に変な意味じゃないぞ。単に、俺のアパートで一緒に夕飯を食べながら、今後のプロデュースの方向性について論じ合ったりしていただけだ。
もっとも、夕食後に社長からもらったお酒を千早がジュースと間違えて飲んでしまった時は、本当に大変だったけどな。酔った千早に絡まれて、俺は平常心を維持するだけで精一杯だった。色々な意味で消耗したけれど、何も変なことはなかった筈だ。うん。
結局、酔いつぶれて寝てしまった千早に布団を掛けてから、俺もベッドに潜り込んだ。
繰り返しになるが、その時点では何もおかしなことはなかった筈なのだ。
けれども、朝になったら、千早はあのような幼児になってしまっていた。全くもって訳がわからない。
一体全体、何がどうなってるって言うんだ?
「おはよう、諸君!」
社長の挨拶に、俺は我に返った。
「大変なことになりました、社長!」
「どうしたのかね?」
「実は……」
俺が千早幼児化についての事情を説明すると、社長は得心いったという表情で頷いた。
「それはつまり、私が君にあげたお酒を如月君が飲んでしまったことが原因だよ」
「どういうことですか?」
「先日、君が幼児化したときに、事務所が活気づいたのでね。もう一度あれを再現できないかと思って、知り合いの研究者に譲ってもらったのが、君にあげたお酒なのだよ。あれを飲むと、肉体が五歳児の時点へ戻ってしまうのだ」
「な、何てことを!」
「安心したまえ。効き目は、服用後二十四時間で切れる。今日の夜には、如月君の身体も元に戻るはずだよ。はっはっはっは……」
「笑い事じゃないですよ、まったく。そういうことは、黙ってこっそりやらないでください!」
「うむ。気を付けるとしよう」
本当に大丈夫なんだろうか、この人は……。
でもまぁ、取り敢えず二十四時間で元に戻るとわかって一安心だ。
子供服や下着を買い揃えるだけでも一苦労だったからな。もしこのまま戻らなかったらどうしようかと、かなり本気で悩んだし。
しかし、ホッと胸を撫で下ろすのは、まだ早かった。
「あら〜、この指輪は何かしら〜?」
あずささんの間延びした声に、俺は慌てて振り返った。
千早の首からぶら下がったチェーン。そこには、俺が千早に贈ったプラチナの指輪が光っていた。
「それは――」と、俺が言い訳するより先に千早が口を開いた。
「これは、ちはやがぷろでゅーさーからもらった、だいじなゆびわなの。だから、ぷろでゅーさーはちはやのだんなさまなの」
瞬間、事務所の時が止まった。
凍り付いた、と言ってもいいかもしれない。
「……プロデューサーさん、ちょっとよろしいでしょうか〜?」
ゆらりと俺の方を振り向いたあずささんの顔には、まばゆいばかりの笑みが張り付いていた。が、目は少しも笑っていない。
これほどまでのプレッシャーを放つあずささんを、俺は初めて見た。
張り詰めた空気。
痛いほどの緊迫感。
背筋を冷たい汗が流れる。
だが、それは長続きしなかった。
「だめなのっ!」
と叫んで、千早が俺の下に駆け寄ってきたからだ。
「かってにぷろでゅーさーをつれていっちゃだめ!」
そう言いながら俺に抱きつく千早に、小鳥さんが苦笑気味に話しかける。
「どこにも連れていったりしないからね。だから、少しの間だけ離れていようね。でないと、プロデューサーさん、お仕事できないでしょう?」
「そんなことばにはだまされないもん。おばちゃんはじゃましないで!」
そう言うなり、千早は俺の頬にキスをした。
「ち、千早?!」
「ぷろでゅーさーは、ちはやだけのものなんだから」
ち、千早って、こんなに独占欲の強い子だったっけ?と首を傾げつつ、フリーズした他のアイドルたちや、心を撃ち抜かれて床に伏している小鳥さんが再始動する前に、俺は千早を抱いて脱兎のごとく事務所を抜け出すことにした。
あのまま事務所にいたら、命が幾つあっても足りない気がしたから。
……ていうか、事務所に戻れるのかな、俺。
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初出:【私の居場所】如月千早24【見つけました】
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