「合格は、2番、5番。以上です」
 そう告げる声に、私は落胆した。
 二回連続でオーディション失敗。
 そして、今度こそはと思い、気合いを入れて臨んだはずの三度目のオーディションでも、まさかの不合格。
 私は悔しさを胸に秘めたまま、オーディション会場を後にした。


「納得できません、って顔してるな」
 帰りの車の中で、突然プロデューサーがそんなことを言ってきた。
「三連続のオーディション失敗。だけど、歌もダンスもかなり決まっていた。それなのに、なぜ合格できなかったんだろう。……そう思っているんじゃないのか?」
 あまりにも図星で、私はとっさに言葉を返すことができなかった。
「そろそろ敗因に気付く頃かなと思ってたんだけど。その様子だと、まだ答えを見つけられてない、のかな」
 プロデューサーの言葉に、私は小さく頷いた。
「……はい」
「なぁ、千早」
「何でしょうか?」
「歌が上手いって、どういうことなんだろうな?」
 唐突に投げ掛けられた質問。その意図が、私にはわからなかった。
「……はい?」
「失敗した三度のオーディションで見せた千早のパフォーマンスは、決して他の参加者に劣るものではなかった。と、俺も見ている。むしろ、個々の要素を取り出してみれば、勝っているところも多いんじゃないかな。けど、それと同時に、今の千早に足りないものが何なのかってことも、おぼろげながら見えてきたように思うんだ」
「…………」
「それが何か、とは訊かないんだな」
「きっと、それは私が自分で見つけなければいけないことだと思いますから」
 そう言ってから、思わず優等生的に反応してしまったことを軽く後悔する。
 どうして、もっと素直に教えを乞えないんだろう。
 そうやって利いた風な口をきいて、他人との間に壁を作って。それで自分を守って。そんなことじゃいけないとわかっているはずなのに。
 でも、プロデューサーは私の作った壁など無かったかのように、自然に言葉を重ねてきた。
「その通りかもな。でもさ、正直な話、自分一人だけで答えを見つけられそうか?」
 予想外の優しい言葉に、思わず本音が出てしまう。
「……いえ。その、見つけられるかもしれませんけど、時間が掛かりそうです」
「そう思って、さっきの質問をしてみたわけなんだ」
「歌が上手いとはどういうことか……ですか?」
「そうだ。違う言い方をすると、人を喜ばせる歌って何だろう?ってことかな」
「…………」
「譜面の通りに音を外すことなく、きちんと正確に歌えれば、それでいいのか。豊かな声量で、或いは張りのある声で朗々と歌えれば、それでいいのか。技術的には、それが上手いってことなんだろうけど。でも、それだけ満たしていれば、人を楽しませる歌、感動させる歌になるんだろうか。逆に、技術的には未熟な拙い歌が、人を感動させることもある。人を和ませることがある。そうは思わないか?」
「確かに……。技術的には優れているけれど、人を感動させない歌。技術的には劣っているけど、人を感動させる歌。ありますよね。その違いは何か……それが問題ということですよね」
「そういうことだ。そこまで来れば、あと少しかな」
 プロデューサーは明るく言うけれど、私にはいまひとつピンと来ない。
 そのことを正直に口にすると、プロデューサーはしばし黙考した後で、こう言った。
「それじゃ、改めて聞くけれど、千早はなぜ歌を歌うんだ?」
「え……?」
「ただ歌が歌えれば、それでいい。そう思っているのかもしれないけど、千早が歌を始めた切っ掛けってのがあるはずだ。それが何かということは、今は訊かない。けど、その切っ掛けを思い出して欲しいんだ。俺が言いたいのは、それくらいかな。あとは、千早自身が答えを見つけ出すって、俺は信じてるよ」
「どうして、そんなことを信じられるんですか?」
「だって、答えは最初から千早の中にしかないからさ」
 そう言ったきり、プロデューサーは事務所に着くまで一言も喋らなかった。
 その間、私は助手席でプロデューサーの言葉を反芻していた。
 事務所に帰りついてからも、そして帰宅してからも、私はプロデューサーとの会話について考え続けていた。

 なぜ私は歌を歌うのか。
 歌を始めたきっかけは、何なのか。

 この問いの答えはとても単純で、そして、あまり思い返したくない過去の記憶と密接に結びついている。
 それは、今は亡き弟との思い出だ。
 私の拙い歌を喜んで聴いてくれた弟。
 弟が喜んでくれるから、私は歌を歌い、そして幾つかの賞をもらうこともできた。
 だけど、その弟はもういない。
 交通事故に遭って、幼くして死んでしまったから。
 あの日の事故を境に、私たちの家族は変わり果ててしまった。
 もし事故がなかったなら、私たちの家族は今とは違った形になっていたはず。そう思ってしまうから、事故のことも、弟のことも、なるべく考えないようにしてきた。
 そう、これまでは。
 けれど、それではダメだ。
 過去を否定して、心の奥底に封じ込めても、何の解決にもなりはしない。
 確かに、弟はいなくなってしまった。
 けれども、弟に喜んでもらいたくて、ただそれだけのために歌っていた、あの頃の純粋な気持ちまでもが消えてしまったわけではないはず。
 それが、私にとっての歌の原点なのだから。
 なのに、いつの間にか原点を忘れかけていた自分がいた。
 思いの籠らない、技巧に走った歌ではいけない。ただ歌唱力を磨くだけでは足りない。そこにプラスアルファ――それは「想い」と呼ぶものかもしれないし、人によっては「魂」と呼ぶかもしれないもの――が必要だと知りながら、そのことを見失っている自分がいた。
 それこそが、きっと今の……今までの私に欠けていたものであり、プロデューサーが気付かせようとしていたものではないのか。
 と、そんなことを考えながら、その日の夜は更けていった……。

 そして、翌日。
「おはようございます、プロデューサー」
「おはよう、千早。……その様子だと、何か見つけたみたいだな」
「はい。プロデューサーのおかげ、だと思います」
「だと思います、ねぇ。……まぁ、いいか」
 私の歯切れの悪い物言いに、プロデューサーは少し苦笑したようだった。
「で、それが何なのかというのは、教えてもらえるのかな?」
「今はまだ……。けれど、気持ちの整理がつけば、必ず」
「わかった。その日が来るのを待ってる。それじゃ、レッスンを始めようか」
「はい」
 来るべきオーディションに備えて、私は気合いを入れてレッスンに臨んだ。
 悔しい思いを四回連続で味わいたくはないから。


* * *


 二週間後、オーディションの日がやってきた。
「十分後にオーディションを開始します。参加者は会場に入ってください」
 控え室のスピーカーから、オーディション開始を告げるアナウンスが流れた。
 即座に会場へと向かおうとする私を、プロデューサーが呼び止めた。
「千早」
「はい?」
「自分を信じろ。それと、千早は一人きりで歌ってるんじゃないってことを忘れないでほしい」
「一人きりじゃない……」
「そうだ。俺もいる。事務所のみんなもいる。ファンもいる。千早を応援している大勢の人がいるってこと、覚えていてほしいんだ」
「わかりました。……今度は結果を出します。見ていてください、プロデューサー」
「あぁ、しっかりな」
 プロデューサーの声に押されて、会場入りする。
 会場内は熱気で溢れていた。
 今日の参加者たちは、いずれも高い実力の持ち主。油断はできないと気を引き締める。
 私は与えられた時間を精一杯使って、歌い、ステップを踏む。
 もしかしたら天国で見てくれているかもしれない弟に、この歌が届けばいいな。なぜだか、そんな考えが頭をよぎった。
 自然と声にも力が入ったような気がした。
 ずいぶん曖昧な書き方だけど、正直なところ、自分でもよく覚えていないのだ。
 気がついたら曲が終わっていたという感じで、こんなことは初めてだったから。
 そして、半ば放心状態で、私はオーディションの結果を待った。


「合格は、1番、3番。以上です」
 やった!
 飛び上がりたい気持ちをぐっと抑えて、プロデューサーのもとへ向かう。
「やりましたよ」
 と報告する声は、ちょっと自慢げだったかもしれない。
「よくやったな、千早」
 そう言って、プロデューサーは私の頭を撫でてくれた。
「これまでと声の張りが違ったし、表情もよかった。見違えたよ」
 その言葉だけで十分だった。
 私のことをちゃんと見てくれている人がいる。そのことを再確認できたから。
「本番もしっかりな」
「はい」
 オーディションでは審査員を納得させればいい。
 だけど、本番のステージでは大勢のお客さんに満足してもらえる歌を届けなければいけない。
 もっと頑張らないと……と心を新たにした私に、プロデューサーが一言。
「でも、あまり気負いすぎるなよ?」
 絶妙なタイミングで放たれた台詞に、私の肩から力が抜けた。
「普通はもっと頑張れって言うべきなんだろうけど、千早の場合は放っておいても頑張るからな。むしろ、無理をしないように注意しておかないと」
「ですが、努力は大事です」
「その通り。でも、体はひとつしかないし、時間は有限だ。できることには限りがある。くれぐれも無理は禁物だからな」
「それは肝に銘じておきます」
「そうしてくれると助かる。……それじゃ、本番までには時間もあるし、飯でも食いに行こうか。腹が減っては戦ができぬ、というからな」
「はい」

 初めて会った時は、ちょっと頼りない人だと思った。
 だけど、今は違う。
 この人となら、歌の世界で生き抜いていけるかもしれない。
 そんな予感がする。
 この予感、信じてもいいですか。プロデューサー?


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初出:【もっとあなたを】如月千早 20【好きになる】


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